(13) ‘Can you handle bluntness, Mr. Kramer?’
‘Oh, please. And call me Ted, if you’re being blunt.’
Kramer氏のこのときの気持ちはその青年に対してよし気に入ったと親愛感を抱いたのではありません。 青年の方もKramer氏には好感はもてません。ですがこの際は自分が弁護士であることや、相手との年齢の差や身分・立場の違いは抜きにして、一対一の対等な人間として同じ土俵の上で、お互いに遠慮なく言いたいことを率直に話し合おうではないかという気持ちなのです。
身につけている一切のものを脱ぎ捨ててみると人間はみな同じではないかと認め合った上で相手と対等に本音で話し合おうというのがアメリカの一部進歩的階層で広がりつつあるといわれるfirst-namingの精神だと思われます。
このようにfirst-namingというのは、個人尊重の民主的精神発露の語法ではありますが親愛語法ではありません。したがって親愛の情を示すにはfirst name 以外の呼び方がどうしても必要なのです。ですから、英語圏社会ではmy dear, baby, doll, darling, honey, sweetheart, lover, kid 等々のさまざまな親愛称 (terms of endearment) が発達するのです。
<中略>
first-namingの乱用
最近アメリカでは相手に了解を求めることもなく、誰彼の見境なくfirst nameで呼びかける人が増えているようです。新聞の身の上相談欄‘Miss Manners’のコラムニストJudith Martinもこの悪い風潮を取り上げ、‘indeed, it has become common place to use first names promiscuously’と嘆いています。とくに電話によるセールスマンの悪用に不愉快な思いをさせられる苦情が多いようです。